大阪地方裁判所 昭和41年(ワ)6289号 判決
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〔判決理由〕一、本件事故発生
原告主張の日時場所において、被告中村の運転する本件自動車が急停車したため、後部左側座席に同乗していた原告がその衝撃により前部助手席上にうつぶせに転倒した事実は、当事者間に争いがない。
二、原告の受けた傷害
右事故の結果、原告が頸椎捻挫、左側胸部打撲傷の各傷害を負つたことは、証拠を総合してこれを認めることができ、前掲各証拠中右認定に反する部分は措信し難く、他に右認定を左右するに足る証拠はない。しかし、原告が右事故によりその他の傷害を負つたことは、これを認めるに足る証拠がない。
三、被告中村の過失の有無
(一) <証拠>によると、本件事故現場の道路はほゞ南北に通じ事故発生地点付近で南に向いやや右にカーブしており、中央車道部には幅員5.8メートルのコンクリート舗装が施され中心線があり、その西側に幅員1.9メートルの地道路肩部分、東側に幅員2.6メートルのアスフアルト舗装部分があり、道路東側には商店や住宅が立ち並んでいるが見通しはよく、自動車の最高速度は四〇キロメートル毎時と指定されていたことが認められる。
(二) 次に<証拠>によれば、被告中村は約三〇キロメートル毎時の速度で本件自動車を運転し車道左(東)側中央部を南進して本件事故現場付近にさしかかつたが、その時右斜め前方約四メートルの対向車道真中付近に雑種の大きな犬が飛び出して来て自車の前方を横切ろうとしたのを認め、危険を感じて直ちに急停車の処置を講じたことが認められる。
(三) ところで、自動車の運転者としては、右現場付近には商店住宅等が立ち並んでおり何時進路上に危険物が現われるか知れないのであるから、前方を充分注意し、これらの危険物を発見した際には直ちに減速してこれとの衝突を避けることができるように進行すべき注意義務があるのはいうまでもないことである。しかるに、被告中村は、自車の前方を横切ろうとする犬を右斜め前方約四メートルの対向車道真中付近に初めて認め危険を感じたのであるから、同被告は前方を注視せず漫然と進行していたため危険の察知が遅れたのではないかと疑われる。しかしながら、前認定のように本件道路の中心線から西側は路肩部分を含めても五メートル足らずの幅員しかなく、犬のように非常に敏捷な動物がこれを一気に渡り切るのはまことに一瞬というべきであるから、もし、犬が路肩部分にいて道路中央に出る気配は全くなかつたのに何かの事情で突然飛び出して来たものとすれば、被告中村においてこれを対向車道真中付近に初めて認め危険を察知したのも人間の反応時間に照らし無理からぬことであり、前方不注視の過失により危険察知の時期が遅れたものと断ずることはできないし、車の直前を横切ろうとする犬との衝突を避けるため急制動を施したのもやむを得ないことである。他方、もしあらかじめ犬の動静を注視すれば道路の中央に出ることが充分予想された場合であれば、犬が自車右斜め前方約四メートルに接近して来るまで危険を察知しなかつた被告中村に前方不注視の過失を認めることができる。しかるところ、本件においては、犬がどこからどのようにして右自動車の前を横切ろうとしたのか、その挙動からあらかじめ道路中央に飛び出すことが予想できたのかどうかは証拠上全く不明であるから、被告中村が犬を発見した地点のみから、同被告に前方不注視の過失があり、ために危険察知の時期が遅れたものと認めることはできず、前方不注意の過失により危険察知が遅れたのかどうかは結局不明というほかない。又被告中村が前記の速度で運行していたのであれば、その速度の点に運転上の過失があるともいえない(原告は急停車の衝撃でフロントガラスに頭を打ちつけた旨主張するが、そのように認め得る証拠はなく、又原告が助手席のシート上にうつぶせに倒れ込んだ事実は、本件自動車の速度が相当速かつたことを窺わせるけれども、前記制限速度四〇キロメートル毎時を超えていたと認めるには未だ充分でない)。そして他に、前記(二)の認定を覆えし、被告中村に前方不注視、速度違反その他本件事故原因たる運転上の過失があつたことを認めるに足る証拠はないので、被告中村は本件事故による原告の損害を賠償すべき義務を負わないといわなければならない。
四、被告船木の責任
被告船木が本件自動車を所有し、同居の娘婿被告中村にその運転をさせていたことは当事者間に争いがないところ、本件事故発生につき運転者たる被告中村に運転上の過失がなかつたとは認められないのであるから(前記三参照)、他の免責事由の有無を判断するまでもなく、被告船木は本件自動車の運行供用者として本件事故による原告の損害を賠償すべき義務を免れない(自動車損害賠償保障法第三条)。
五、原告の傷害治療と本件事故との因果関係
(一)<証拠>によれば、原告は本件事故後その主張どおりの入、通院治療(請求原因五、但し、村田歯科医院を除く)を受けていることが認められる。
(二) ところで、<証拠>を総合すれば、原告には以前より上部頸椎の後従靱帯石灰化症という持病があつたこと、同症は非常に珍しい疾病で初期の間は自覚病状を伴わず病状も急激に悪化するものではないが、きわめて難治性のもので悪化すると手足のしびれ、頭痛、頑固な肩凝り等の症状が現われるようになること、原告は本件事故以前から頑固な肩凝りを覚えることはあつたが特別治療の必要を感じなかつたこと、事故後はこれらの症状のほかに頸部、後頭部、左側胸部痛等を訴え入、通院治療を受けるようになつたことが認められ、右認定を左右するに足る証拠はない。
とすれば、本件事故当時原告の右石灰化症は相当進行してはいたが未だ特別の治療を要する程のものではなかつたのに、右事故による前記負傷(頸椎捻挫等)のため頸部、後頭部、左側胸部痛等を覚え治療の必要が生じたものと推認するのが相当であるから、原告の前記入、通院治療と本件事故との間に因果関係の存在を肯定することができる。
(二) もつとも、<証拠>によれば、原告の頸部、後頭部痛は持病の石灰化症により増強、頑固なものとなり治療が通常より長引いているものであることが認められるので、原告の症状の頑固性及びその治療の長期化による損害は、右石灰化症の存在という特別の事情により生じたものといわなければならない。しかるところ、被告らにおいて右特別事情を予見し又は予見できたと認めるに足る証拠はないから、被告船木の賠償すべき損害は右持病のない場合に原告において前記負傷のため通常被るべき損害の限度にとどめるべきである。
(四) そこで、右通常損害の範囲につき判断するに、<証拠>によれば、原告の頸椎捻挫等本件事故による負傷は通常であれば昭和四一年一月末ごろまでに治癒すべきところ、前記石灰化症のためその後も頑固な頸部、後頭部痛等の後遺症状が消失しないものであると認められ、この認定を左右するに足る証拠はないので、右通常損害は事故後昭和四一年一月末までに生じたものに限るのが相当である。(谷水央)